フクロウ学園
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中学1年 社会 歴史
1126年 【中国】 金と宋に分かれる
916年(五代十国時代) 遊牧民族の契丹族の長 耶律阿保機が中国の東北地域とモンゴル高原(秦代の万里の長城の北側)を征服して遼という国を建てます。
979年 五代十国の後周の節度使 趙匡胤(ちょうきょういん)が国号(こくごう;国の名前)を宋に変え、五代十国を統一します。
1115年 中国東北地方の松花江(しょうかこう)の中流で約200年間、遼の圧制に苦しんでいたツングース系女真族(じょしんぞく)の完顔部(わんやんぶ)という部族の長である阿骨打(あぐだ)が女真族をまとめて遼から独立して金(きん)という国を建てます。
阿骨打は金の都を会寧府(かいねいふ;今の黒龍江省阿城市)に定めました。
1123年 金の2代目太宗(たいそう)は内紛によって弱っていた遼を攻め、遼の9代皇帝天祚帝(てんそてい)を捕らえます。
このとき遼の最初の皇帝から8代目の孫と自分で称していた耶律大石(やりつたいせき)は、支配下にあった部族を従えて、西トルキスタンにあったトルコ系イスラム教国のカラ=ハン王朝を攻めます。
1125年 宋は金と組んで、遼に支配されていた中国北部の燕雲(えんうん)十六州を取り戻すため遼を攻めて滅ぼします。
しかし、宋と金は占領した燕雲十六州の返還をめぐって対立して金は大軍で宋を包囲します。
1126年 金は宋が約束を守らなかったことから宋の都である開封を占領します。
1127年には宋の上皇徽宗(きそう)や皇帝欽宗(きんそう)、皇族や重臣3千名を北方に連れ去りました。
この争いのことを靖康の変(せいこうのへん)といいます。
宋は華北地域を捨てて長江流域の江南まで逃げて欽宗の弟高宗(こうそう)を即位させます。
高宗は南宋(なんそう)という国を建て、臨安(りんあん;今の杭州(こうしゅう))を都にしました。
1132年 耶律大石はカラ=ハン王朝を滅ぼして西遼(せいりょう)という国を建てます。
1142年 宋は金と屈辱的な和睦をし、中国の大散関(だいさんかん)と淮河(わいが)を結ぶ線を国境として北側を金、南側を南宋が治めるようになりました。