フクロウ学園

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中学1年 社会 歴史

1281年 弘安の役(こうあんのえき)

 1276年 文永の役のあと、元の攻めに備えて博多湾一帯に石塁を築きます。
 1279年 日本に来た元の使者が殺されると、南宋を滅ぼした元の王フビライ・ハンは、再度、日本を支配下にするため10万の大軍で攻めてきます。
御家人の奮闘と築いておいた石塁、文永の役につづきこの時も台風がきて、元軍は上陸できないまま退きました。
この襲来のことを、弘安の役といいます。
元が攻めてきた文永の役・弘安の役を合わせて、元寇(げんこう)ともいいます。
元の襲来は、元の領地である高麗・中国南部・べトナムの反抗が激しくなったため、2回の襲来で終わりました。
しかし、この元寇が鎌倉幕府崩壊の遠因となりました。