フクロウ学園

トップページ歴史目次

中学1年 社会 歴史

1333年 鎌倉幕府の滅亡

 個性的な後醍醐天皇は、文法の和談に縛られるのを嫌って、その禍根を断とうと考えました。
 幕府では執権の力が弱まり、御家人たちの動揺が広まっていました。
 後醍醐天皇はそのときに隠岐を脱出し、後醍醐天皇の皇子である護良親王(もりよししんのう)が、盛んに令旨を出して近畿の武士や寺院に呼びかけて吉野(今の奈良県)で挙兵し、吉野城は落城します。
 新興武士の楠木正成(くすのきまさしげ)が幕府の大軍を千早城(ちはやじょう)(大阪)に釘付けにしている間に、播磨(はりま:今の兵庫県)赤松法村(あかまつのりむら)が京都に向けて進軍します。
 幕府は北条時家の子の名越高家(なごしたかいえ))と有力御家人の足利尊氏(あしかがたかうじ)を大将として派遣しますが、名越高家は京都で討たれ、足利尊氏は後醍醐天皇に寝返り、六波羅探題を赤松法村らと共に攻めます。
 1333年 新田義貞(にったよしさだ)足利義詮(あしかがよしあきら)が鎌倉を攻略して幕府を滅ぼしました。