フクロウ学園

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中学1年 社会 歴史

1336年 南北朝の対立

 1335年 足利尊氏(あしかがたかうじ)は鎌倉に移ったことをきっかけに建武の新政に反旗をひるがえし、武家政治の再興を呼びかけ、持明院統光明天皇を立てて反乱しました。
対して、後醍醐天皇は光明天皇に三種の神器を渡して吉野(今の奈良県)に逃げます。
これによって、尊氏が京都に光明天皇を立てて、後醍醐天皇は吉野で皇位の正当性を主張したため、二つの朝廷ができました。
足利尊氏の京都側の朝廷(武家政権)北朝(ほくちょう)(持明院統)、後醍醐天皇の奈良側の朝廷を南朝(なんちょう)(大覚寺統)といいます。
1392年に南朝の後亀山天皇が京都に帰って南北朝が合わさるまで、約60年もの間内乱が続きました。この時代のことを南北朝時代といいます。
この内乱を通じて守護は半済(はんぜい)や守護請などの権利を認められて、一国全体を支配するようになり、守護領国制が広まりました。
 1336年 足利尊氏は京都に攻め上がり、政治の方針を記した17条の建武式目(けんむしきもく)を制定して幕府の再興を宣言しました。
後醍醐天皇がはじめた建武の新政はわずか2年でくずれました。