フクロウ学園

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中学1年 社会 歴史

1438年 永享の乱(えいきょうのらん)

 鎌倉府(かまくらふ)は関東の支配地を関東管領(かんとうかんれい)守護(しゅご)を任命する権利以外のすべてを持つ大きく重要な役職でした。
このため鎌倉府の長官の鎌倉公方(かまくらくぼう)には将軍と競うあう者もいました。
関東管領は鎌倉公方を補佐する役職です・
 足利義持(あしかがよしもち)が次の将軍を決めずに死去したため、6代将軍は「くじ」によって弟の足利義教(あしかがよしのり)が将軍に選ばれます。
この将軍の継ぎ方に不満をもった鎌倉公方の足利持氏(あしかがもちうじ)は6代将軍足利義教に対して反抗的でした。
足利義教は追討の兵をあげます。
足利持氏は鎌倉に退きますが、関東管領の上杉憲実に囲まれて自殺しました。
この反乱のことを永享の乱といいます。