フクロウ学園

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中学1年 社会 歴史

1440年 結城合戦(ゆうきかっせん)

 足利義教は将軍職を争った義満の子の大覚寺義昭(だいかくじよしあき)に謀反の疑いをかけて自害させました。
また永享の乱で挙兵した足利持氏も自害させました。
 足利持氏の遺児の安王丸春王丸が下野国(今の栃木県)を治めていた結城氏と組んで鎌倉公方の役職を狙って反乱を起こしました。
 永享の乱で足利持氏を打ち取り、引退していた上杉憲実(うえすぎのりざね)関東管領(かんとうかんれい)に復職(ふくしょく)させて討ち取らせます。
この戦いを結城合戦といいます。
 さらに、足利義教は3か国の守護大名であった一色義貫(いっしきよしつら)と伊勢守護を北畠満雅に変わり命じられた土岐持頼を殺させて、畠山・斯波氏らの家督(かとく)にも干渉(かんしょう)して、少しでも敵になりそうな守護を抑圧しました。