フクロウ学園

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中学1年 社会 歴史

1441年 嘉吉の徳政一揆

 足利義教が殺された後、足利義勝が将軍となることが決まると、土一揆は「代始めの徳政」を要求しました。
 1441年 6月 世情不安の中、近江から大規模な徳政一揆が始まり広まります。
 1441年 9月 農民は東寺・広隆寺など16か所を占拠して徳政令を要求します。
幕府は鎮圧できずに土民に限って徳政令を許すことを提案しましたが一揆側が拒否して一国平均の徳政令を出させました。
このことから当時、一揆の軍が統制のとれた闘争を展開できるようになっていたことがわかります。
また幕府の弱体化も明らかになりました。
この徳政一揆のことを嘉吉の徳政一揆(かきちのとくせいいっき)といいます。