中学1年 社会 歴史
645年 乙巳の変、大化の改新
聖徳太子が亡くなり、その子山背大兄王が蘇我入鹿によって滅ぼされるなど、蘇我蝦夷・入鹿親子の独裁的な政治に不満が高まり、中央集権国家の建設が求められました。
この情勢を見た舒明天皇の皇子である中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、大和朝廷の神祇・祭祀(じんぎ・さいし)を司る有力豪族の中臣鎌足(なかとみのかまたり)と組んで蘇我氏を倒し、新しい政治の仕組みをつくる改革をはじめました。
軽皇子が孝徳天皇となり、中大兄を皇太子、中臣鎌足を内臣、 僧旻と高向玄理を国博士として、政治改革が始められました。
中大兄皇子は中臣鎌足や帰国した留学生と協力して、豪族が支配していた土地を国のものとする公地・公民(こうち・こうみん)制度を実施して、権力を政府に集中させるようにしました。
このとき、はじめて大化という年号が使われたことから、この改革を大化の改新と呼びます。