フクロウ学園
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中学1年 社会 歴史
907年 【中国】 唐が滅び、五代十国時代にはいる
中国では唐が滅び、5つの王朝と10個の地方(国)に50年余り分裂する五代十国(ごだいじゅっこく)時代に入りました。
唐は異民族の侵入に備えるために、各地に節度使(せつどし)という反乱の警戒にあたる軍事的な役職を設けて治めていました。
しかし、9世紀後半の唐は政治がとても悪く、人々は困窮(こんきゅう)して各地で争いが増えました。
878年 黄巣(こうそう)と仙芝(せんし)が挙兵すると、困窮した民衆が次々と加わって大きな反乱がおこりました。
この反乱を黄巣の乱といいます。
黄巣軍は全中国を荒らし長安まで占領しますが、節度使の朱全忠(しゅぜんちゅう)と突厥沙陀部(とっけつさだぶ)の援軍によって唐は黄巣の乱をかろうじて鎮圧します。
各地の節度使は唐の中央政府の弱くなったのを見て、地域の軍事・行政・財政を握り勢力を増やし独立しはじめます。 この地方勢力を藩鎮(はんちん)といいます。
907年 黄巣の乱の鎮圧に功績のあった朱全忠は唐政府を滅ぼし後梁(こうりょう)という王朝を建てます。
以後960年までの約50年の間に後唐(こうとう)・後晋(こうしん)・後漢(こうかん)・後周(こうしゅう)の5王朝が交替します。
地方には前蜀(ぜんしょく)・後蜀(こうしょく)・呉(ご)・南唐(なんとう)・呉越(ごえつ)・閩(びん)・荊南(けいなん)・楚(そ)・南漢(なんかん)・北韓(ほっかん)の10国が建ちます。
この50年の国が分裂した時代を、五代十国時代(ごだいじっこくじだい)といいます。