フクロウ学園

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中学1年 社会 歴史

エジプト文明(紀元前3000年頃)

 ナイル川流域のエジプトは東西に砂漠がありますが、ナイル川の上流には熱帯の雨の多い地域があり、その水が洪水を起こして、洪水の引いた後の土地に上流からもたらされた肥えた土が残り、そのため作物がよく育つようになりました。

また、北は地中海、南はナイル川に囲まれているため、周辺民族の侵入が少なく文明が発展しました。

 「エジプトはナイルの賜(たまもの)」という歴史家ヘロドトスの言葉があります。

エジプトが「ナイル川の恵みによって成り立っている」という意味で、これは昔、エジプトの南(現在のエチオピアあたり)で雨が降ると、ナイル川で洪水がおこりました。

洪水は多くの被害(ひがい)をもたらしましたが、同時に農民は水が引いた後に種をまいてたくさんの農作物を収穫(しゅうかく)することができました。

 ナイル川の洪水の時期を知るために、天文学が発達して太陽暦(たいようれき)が作られました。

さらに、洪水の後の土地を整備するために測量技術(そくりょうぎじゅつ)(山や川、家、道路などのおたがいの位置関係を正確に測る技術)も発達しました。

測量したことを記録するために、パピルス(現在の紙の原形)象形文字(しょうけいもじ)(ヒエログリフ)で記録されました。

 エジプトの古王国はメンフィスをとして、王(ファラオ)は「神の子」として信じられ、その体は永遠の命をもつとして、ミイラとして保存され、多くの人を使って建てさせたピラミッドに埋葬されました。

太陽神ラーを中心とする多神教を信仰していました。

 この文明をエジプト文明と言います。

↑の画像は今も残るピラミッドです。紀元前27世紀ころのエジプト王の墓です。