フクロウ学園

トップページ歴史目次

中学2年 社会 歴史

1595年 豊臣秀吉(とよとみひでよし)豊臣秀次(とよとみひでつぐ)自刃(じじん)させる

 豊臣秀吉は関白を継いだ豊臣秀次に謀反の疑いをかけ、高野山に追放し自刃させます。
秀次の一族は三条河原(さんじょうかわら)(京都鴨川沿い)で処刑されました。
 【秀吉の後継者問題】
   秀吉は正室(せいしつ)(妻の中で最も身分が高い者)ねいとの間に子供ができませんでした。
  はじめ織田信長の四男である織田秀勝(おだひでかつ)を養子にし、羽柴秀勝としましたが死別してしまいます。
  側室(そくしつ)(正室以外の妻)淀殿(よどどの)(別名ちゃちゃ)鶴松(つるまつ)が生まれましたが、わずか三歳で死別します。
  姉の子である豊臣秀次を養子にします。
   1593年に淀殿に豊臣秀頼(とよとみひでより)が生まれます。
  秀頼の誕生によって秀吉は我が子を跡継ぎにしたいと思うことは当然なので、関白を継いだ秀次の立場が苦しくなります。
  秀次は謀反の疑いをかけられ高野山に追放して自刃させられ、一族は処刑されてしまいます。