フクロウ学園

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中学2年 社会 歴史

1880年 国会開設(こっかいかいせつ)請願(せいがん)

 国会開設の請願は、愛国社が国会開設を求める請願書を太政官に提出しましたが、政府は認めませんでした。

 愛国社は、自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)を広めるため、1875年2月22日に立志社の板垣退助を筆頭に・片岡健吉らが大阪で同志を集めて結成した政治結社です。
自由民権運動は、1874年の民撰議院設立の建白書の提出からはじまり、一部官僚による独裁的な政治に反対して、国民から選ばれた議員による国会を開いて、国の意志決定に国民が参加できるようにするための士族の運動と地租改正反対・地租軽減を求めた農民の運動が結びついたものです。
 1880年3月 愛国社は大阪で第4回大会を開き、国会開設の請願が決議され、愛国社は国会期成同盟と改称しました。
1874年から1881年に提出された国会開設の建白書は90、請願書は40、署名に加わったものは30万人を超えました。
 1880年4月 明治政府は集会条例を出して運動を弾圧しました。
 
 1880年11月 国会期成同盟は第2回大会を開きました。
この第2回大会には、13万人余の賛同署名者の代表が集まって、運動の拡大と翌年度大会への憲法見込案を提出する決定を行いました。
政党結成についても話し合われましたがまとまらず、同盟外で河野広中(こうのひろなか)植木枝盛(うえきえもり)らを中心に準備がすすめられました。
 1881年10月 国会期成同盟第3回大会は自由党結成大会に変更されました。
こうした運動の中、明治政府も国会開設・憲法制定の意志を固め、井上毅(いのうえこわし)らの努力でその見通しを得ると、
 1881年10月11日に大隈重信(おおくましげのぶ)を追放し、北海道開拓使官有物払下げを中止しました。
 翌日、10年後に国会を開設し、その前に憲法を制定するという国会開設の勅諭を発しました。