フクロウ学園

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中学2年 社会 歴史

江戸時代

 戦国時代、織田信長から豊臣秀吉を経て天下統一がなされました。
1600年 徳川家康関ヶ原の戦いで豊臣派の石田三成を破ります。
1603年 家康は征夷大将軍に任命され、江戸(東京)に幕府を開きます。
この時代のことを江戸時代といいます。
江戸幕府は1868年まで約260年近く、平和な時代を作り上げます。

 豊臣秀吉の死後、関ケ原の戦い・大阪の陣を経て地位を高めた徳川家康は、江戸幕府の基礎を固めます。
 
 3代将軍徳川家光の頃までには、江戸幕府と大名とが全国の土地と人民を統治する幕藩体制が整いました。
また、江戸幕府は貿易統制と禁教政策の延長線上にスペイン・ポルトガル船の来航を禁止し、オランダ商館を長崎の出島に移して、鎖国体制を確立しました。
 4代将軍徳川家綱以降には、慶安の変などを契機に、幕府は武断政治から文治政治へと転化をはかりました。
 5代将軍徳川綱吉は、生類憐みの令や貨幣改鋳などを行い、都市が大きく発展しました。
江戸は将軍の城下町で、諸藩の江戸屋敷も置かれたため、18世紀初めには人口約100万人の大都市に成長しました。
 全国の商業や金融の中心地大阪は、「天下の台所」とよばれ、諸藩の蔵屋敷(くらやしき)が設けられ 、全国から米や特産物が運び込まれました。
京都は、西陣織(にしじんおり)などの高級な織物や優れた工芸品を産出しました。
この江戸・大阪・京都を三都(さんと)といいます。
 大阪と江戸の間には、菱垣廻船(ひがきかいせん)樽廻船(たるかいせん)なおの定期船が往復するようになり、木綿・菜種油・酒・しょう油など、江戸の住民の日用品が送られるようになりました。
また、西廻り航路や東廻り航路が開かれ、東北・北陸地方の米が江戸や大阪に輸送されました。
 6・7代将軍に仕えた新井白石は、海舶互市新例(かいはくごししんれい)など正徳の治を行いました。
 17・18世紀の産業の発展により、貨幣経済が浸透していきました。
 江戸幕府が開かれてから100年が経過すると、幕府の財政は悪化していました。
さらに、1732年には享保の大飢饉がおこります。
8代将軍徳川吉宗は、享保の改革を始めます。
享保の改革は、上米の制をはじめ財政再建の施策をし、諸制度の整備や目安箱の設置などの都市政策を行い、財政再建にかなりの成果をあげました。
 老中田沼意次は、幕府の財源を商品流通に求める政策を行いましたが、改革に伴う年貢の増加と飢饉が相まって、各地で百姓一揆や打ちこわしが続発しました。
さらに、1782〜1787年には天明の大飢饉がおこります。
 老中松平定信は、寛政の改革を行います。
寛政の改革は、荒廃した農村を立て直し、打ちこわしの再発を防ぐための諸政策を行いました。
 1733〜1739年に、天保の大飢饉が起こります。
 老中水野忠邦は、天保の改革を始めますが、失敗に終わり、幕府の力が弱まったことを示すことになりました。
 田村意次・松平定信・水野忠邦の改革は、十分な成果を上げられずに失脚しました。
 ペリー来航によって開国され、その後横浜を中心に貿易が始まり、金の貨幣の流出と物価の高騰が進みました。
このため、尊王攘夷派の活動が勢いを増し、幕府は公武合体などを行いますが、薩長同盟が結ばれ、討幕派の活動がさらに勢いを増したので、幕府は1867年に大政奉還を行いました。