フクロウ学園

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中学2年 社会 歴史

日本の産業革命

 産業革命は、生産の方法が道具を使った手工業から機械や動力を使った大工場で行われる(工業制機械工業)ようになり、人々の生活が根本的に変化することです。

 産業革命以前の人々の生活は、都市はあっても、大半の人々は農村に住んでいて、大きな工場もなければ鉄道もなく、仕事は家族がまとまってすることが普通で、家族は一日中、ほぼ一緒に活動していました。
 学校や職場でほぼ同年齢のものが大勢集まっているなどということもまずなく、人々は時間単位で雇われているわけではないので、好きな時間に働き、好きな時間に休んでいました。
町でも村でも地域の人々は互いに顔見知りで、大抵のことは助け合いしながら生活し、 娯楽は祭りや地域の人々との交わりが中心でした。
 しかし、生産の能率は高くないし、科学技術が発展していないので、人々は貧しく、生活はきわめて厳しく、飢饉や伝染病が広がって、子供はたくさん生まれるが、次々と死に、生き残った人の寿命も長くはないので、人口もあまり増加しません。
病気になっても迷信交じりの治療法しかなく、女性や使用人をはじめ、多くの人々が政治的にも社会的にも一人前には扱われず、選挙権や財産権を認められていませんでした。
 産業革命以後、生産の方法が、機械や動力を使うようになり、現代の生活の基本ができあがりました。

 世界の産業革命は、18世紀中頃にイギリスのマンチェスター周辺の綿工業から始まりました。
ついでフランス・ドイツ・アメリカ・ロシアに広まりました。

 日本の産業革命も繊維産業を中心に始まります。
 1870年 明治政府は、イギリスなど産業革命を経た先進国に追いつくため、工業・土木・鉱山・造船・鉄道などの殖産興業(しょくさんこうぎょう)(生産をふやし、産業をおこすこと)を進めるために工部省を官庁として設置します。
 1872年 富岡製糸場が操業します。
 1881年 日本鉄道会社が設立します。
 1882年 大阪紡績会社が設立します。
※ 紡績は、綿や羊毛、麻などの短くて細い繊維(毛)を()り合わせながら長い糸にすることです。
※ 製糸は、カイコガという蛾の幼虫の(かいこ)が、(さなぎ)になり、(まゆ)をつくります。
この繭をほどいて細い糸を引き出し、それをばらばらにならないよう数本まとめて()り合わせ太い糸にすることです。
この糸を加工して絹糸にし、絹糸を織って布にしたのが絹布です。
 1886〜1889年 会社設立ブーム
 1890年 綿糸の国内生産量が、輸入量を上回ります。
 1897年 綿糸の輸出量が、輸入量を上回ります。
 1901年 八幡製鉄所が操業します。
 1909年 生糸の輸出量が世界一になります。
※ 生糸は、蚕の繭をほどいて、その繊維を数本まとめて撚り合わせて糸にしたものです。