フクロウ学園

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中学3年 社会 歴史

大衆文化

 【都市の生活】 ガス・水道・電気などの普及によって、都市では、西洋風の生活様式が流行しました。
住宅の一部に西洋間を設けたり、ガラス窓を採用したりした「文化住宅」が流行し、カレーライス、トンカツ、コロッケなどの洋風料理が広まりました。
 洋服は、まず男性に普及しましたが、バスガールや電話交換手など、働く女性が増加し、女学生の制服に洋服が採用されたことなどから、女性にも広がり始めました。  このころ、100万部を超える新聞や週刊誌・総合雑誌があらわれ、文化の大衆化に大きな役割を果たしました。
1冊1円という低価格の単行本も出版されるようになりました。
 児童向けの雑誌が発行され、ヨーロッパ風の童謡や童話が広まったのもこの時期です。
 また活動写真(無声映画)にかわってトーキー(有声映画)が登場し、レコードも普及しました。
1925年(大正14)に始まったラジオ放送は、またたくまに全国に普及し、新聞とならぶ情報源となりました。
こうしたメディアの発達につれて、大衆小説、映画、歌謡曲や、学生野球などのスポーツが大衆の娯楽として普及していきました。  画像の電送については、1928年(昭和3)に京都・東京間で、写真電送(今のファクシミリに近いもの)がはじめて行われ、1936年のベルリン・オリンピックは、無線の写真電送で世界に伝えられました。
 世界の一体化は、ラジオやテレビの発達でいっそう進みました。
 日本では、1925年にラジオの試験放送が始まり、翌年に「日本放送協会(NHK)」が設立されました。
 ラジオは、1937年の末には全世帯の83.3%がもつまでになりました。
 テレビは、第二次世界大戦後の1953年2月から、NHK東京が放送を開始し、8月には民間の放送も始まりました。
 1963年には、日本とアメリカの間で衛星を利用した国際テレビ放送の試験が始まりましたが、最初に伝えられたのは、アメリカのケネディ大統領暗殺のニュースでした。
 テレビやラジオの発達によって、家にいながら、世界中のニュースが手に取るようにわかる時代になりました。
 大正期には、中等・高等教育の普及がはかられ、大学や専門学校が増設されました。
女子教育の充実が図られて、多くの知識層が生まれました。
 また小学校では、個性を大切にし、自主性を重視する自由教育の運動も始められました。
 学問や文芸にも新しい傾向が生まれ、「善の研究」で東洋と西洋の哲学を統一した哲学者の西田幾多郎など、人文・社会科学の分野でも独創的な研究者があらわれました。
 文学では、人道主義の理想をかかげた志賀直哉をはじめ、谷崎潤一郎や、知性的な短編で人々に新鮮な印象をあたえた芥川龍之介らが、優れた作品を発表しました。
 美術では大正初期に創立された二科会で安井曾太郎などが活躍し、音楽では、職業としての管弦楽団を最初に組織した山田耕筰などが新風をふきこみました。