フクロウ学園
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中学2年 社会 歴史
1603年 徳川家康が江戸幕府を開く
1603年 徳川家康が征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きました。
戦国時代、織田信長から豊臣秀吉を経て天下統一がなされました。
1590年 豊臣秀吉の命令で、徳川家康は関東へ移封されました。
1600年 徳川家康が関ヶ原の戦いで豊臣派の石田三成を破ります。
1603年 家康は征夷大将軍に任命され、天下人となり江戸(東京)に幕府を開きます。
この時代のことを江戸時代といいます。
江戸幕府は1868年まで約260年近く、平和な時代を作り上げます。
- 大老:臨時の職
- 老中:政治の運営
- 大目付:幕府の政治の監督など
- 町奉行:江戸の町政など
- 勘定奉行:幕府の財政・幕府の領地の監督
- 遠国奉行(おんごくぶぎょう):重要な都市の支配
- 若年寄:老中の補助
- 寺社奉行:寺社の取り締まり
- 京都所司代:朝廷と西国大名の監視
- 大阪城代:西国の軍事を担当
1605年 徳川家康は将軍職をこの徳川秀忠にゆずり、駿府に隠居しながら、大御所政治をします。
幕府の直接の支配地(幕領)は約400万石で、将軍の家臣である旗本・御家人の領地を合わせると、全国の石高の約4分の1におよびました。
さらに、京都・大阪・奈良・長崎などの重要な都市やおもな鉱山を直接に支配し、貨幣の鋳造権も独占しました。
また、江戸を中心とする東海道などの要地には関所を置きました。
江戸時代の大名とは、将軍から1万石以上の領地を与えられた武士をいい、大名の領地とその政治組織を藩といいます。
幕府と藩の力で全国の土地と人民を支配する政治制度を幕藩体制といいます。
幕府は藩をとりつぶしたり、領地がえを行う実力をもっており、外様大名を江戸から遠くの地域に置くなど、大名の配置にもくふうをこらしました。
幕府では、将軍の下で老中が政治の運営にあたり、寺社奉行・町奉行・勘定奉行の三奉行などが政務を分担しました。
これらの役職には、譜代大名や旗本が任命されました。
親藩は徳川家の一門のこと、譜代大名は古くからの徳川家の家臣、外様大名は関ケ原の戦い以後に徳川家に従った大名のことです。
幕府は朝廷に政治上の力をもたせないように、禁中並公家諸法度という法律で天皇や公家の行動を制限し、京都所司代を置いて監視しました。
大名については、武家諸法度という法律を定めて、大名が許可なく城を修理したり、大名家どうしが無断で結婚関係を結んだりすることを禁止しました。
3代将軍徳川家光は参勤交代の制度を定めて、各大名に1年おきに領地と江戸を往復させ、費用や江戸での生活のため多くの出費を強いらせ、各大名に力を持たせないようにしました。